さいたま市小6女児死亡事故(ASUKAモデル)

2011年9月29日、朝元気に学校へ登校した桐田明日香さん(当時小学校6年生)は、学校の課外活動での駅伝練習中に突然倒れ、翌日亡くなりました。
 
 
今回、スポーツペアレンツジャパンでは、明日香さんのお母様、桐田寿子さんより直接お話を伺く機会を頂戴しました。
 
 
桐田さんは看護師として働きながら、そして母として2人のお子さんの育児をしながら、ASUKAモデル* が広く学校で導入されることを願って様々なプロジェクトを通じて活動されています。
 
*ASUKAモデル
桐田明日香さんの事故後、(さいたま市) 教育委員会は、「さいたま市立小学校児童事故対応検証委員会」において検証を進め、その報告に基づき、平成24年4月に学校で起こりうる様々な危機事案に対する組織的・実践的な危機管理の基本的なあり方を示した「さいたま市立学校児童生徒事故等危機管理対応マニュアル作成指針」を作成。
さらに、校長、教員など教育実践者の視点で、事故を巡る対応の在り方について分析し、これを教訓とした、教員研修のためのより分かりやすいテキスト、愛称「ASUKAモデルを平成24年9月30日に作成。

(さいたま市HPより引用抜粋)

 

桐田さんが主に関わられている活動です。(各ページリンクしています。)
 
 
 
 
また、松田直樹メモリアルの松田選手のお姉さまと共に活動することも多いという桐田さん。
 
 
明日香さんの死を無駄にしないよう、そして明日香さんが強く願っていたであろう、「大好きなお友達を守る」という思いを実現するため、全国の学校において「ASUKAモデル」が広く普及するよう、精力的に活動されています。
 
その甲斐あって、2014年度より、さいたま市ではすべての小・中・高等学校において心肺蘇生の授業を行っています
 
倒れた人のすぐそばにいる人が、いち早く駆けつけ、対応できる社会になる様に・・・
 
これまでの事を振り返りながら、活動について桐田さんにお話ししていただきました。
 
 
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私の娘、明日香は本当に明るく、元気いっぱいの優しい子でした。保育園から小学校6年生の徒競走は1位。
マラソン大会も上位4位以内に入っていました。持病はありません。運動も大好きで、女の子ながらサッカーチームに入って活動していたこともありました。
 
倒れたその日の朝、「うち駅伝の練習頑張るね。ママ大好き!!」といって投げキッスをするように両手を大きく空に広げるポーズをして登校していきました。
 
まさかそれが最後の姿になるなんて・・・。
 
私は看護師としていつも通り病院で働いていました。
 
 
それが、主人から職場にかかってきた1本の電話で、奈落の底へ突き落されました。
 
「明日香が駅伝の練習中に倒れて、心肺停止状態になっている。脳死状態かもしれない・・」
 
 
「うそ?なに?何が起こったの?心肺停止ってどういうこと?」
 
 
パニックになり、震える私を職場の同僚が
「すぐに病院に行きましょう!私が運転します!指示を下さい!」
 
と、私を病院まで連れて行ってくれました。
 
そこで見た明日香の姿は、挿管等のチューブにつながれ、輸液により、全身はむくみ腫れ上がり、生気のない表情でベットに横たわっていました。
 
「明日香、どうしたのよ。今朝だって、旅行に行くっていったじゃない。どんな姿になったってママは明日香を待っているよ。答えて!」という声がけに、明日香は両目から涙を浮かべ、左の眼から大きな涙が二つぶ流れ落ち私の手で受け取ることが出来ました。
 
翌日、多臓器不全・脳浮腫の進行が進み、生命の維持が困難になっても、明日香は、祖母の歌う歌に心拍を安定させたりして懸命に答えてくれました。
 
夜になり心拍が止まり始めた時、私は胸骨圧迫を、とっさに行いました。

 
それは、救命の目的でなく、明日香と一緒に生きる時間を一秒でも重ねたい思いからでした。
 
主人と2人、懸命に明日香の胸を交代で押し続けました。口から血が吹き始めた明日香の胸を押し続けるのは辛いため、19時過ぎの親戚の到着後、私は手を止めました。
 
私の兄が、岡山から到着するのが、21時頃だったので、明日香に「おじさんには、明日香が頑張ったことを伝えるから・・もう休んでいいよ」と伝えた後、看護師さんに「会いたい人には会わせられたので、確認をお願いします」と声をかけると、「あの、心臓が動きはじめましたよ」との返答にモニターを見ました。
 
胸骨圧迫で動かされた心臓が、もう一度、自分の力で動きはじめたのです。
 
兄が到着する予定時刻の21時を過ぎると、心拍が急激に落ちはじめた為、最期は、主人と私で胸骨圧迫をしながら、兄の到着を待ちました。
 
兄が到着して明日香にお別れを伝えた後、静かに手を止めました。9月30日2148分、最期の一秒まで精一杯生き抜いてくれた明日香は永遠の眠りにつきました。
 
どうして娘は11歳という短い命でこの世を去らなくてはいけなかったの?
 
学校で一体何があったの?
 
学校は子どもにとって安全な場所ではないの?
 
 
明日香の葬儀の後、どうにか原因を知りたい、そして再発防止に取り組まなければ・・・と動き始めたのが、今の活動の原点です。