大分県剣道部員死亡事件

事件内容

・  ・  ・  ・  ・

2009(平成21)年 8月22日

大分県立竹田高校剣道部 主将だった工藤剣太君(当時17歳)は、練習中に剣道場で倒れ、亡くなりました。


原因は、熱射病(重い熱中症)と顧問による執拗な暴行。

顧問や副顧問が現場にいたにもかかわらず、救急車をすぐに呼ぶこともせず、顧問は「演技するんじゃない!」と暴行、それを止めなかった副顧問らの責任追及のため、ご両親は裁判を起こされます。

また、搬送先の医師は搬送から2時間以上も冷却を行っておらず、熱射病の適切な処置を誤ったとして、病院を運営する豊後大野市にも約8600万円の損害賠償を求めています。

被告側は「過失はない」と争いましたが、地裁は剣太君に意識障害が生じてもすぐ救急車を呼ばなかったことなど、顧問や副顧問の過失を認定。医師も適切な冷却措置をしないなど過失があったとしました。

 

2013年3月                                                                       

大分地裁は、請求を一部認め、県などに約4656万円の支払いを命じました。

・  ・  ・  ・  ・

 

今回、スポーツペアレンツジャパンでは工藤剣太君のお母様とメールでご連絡を取らせていただきました。

ご両親は、「二度とこの苦しみを他の方に経験してほしくない!」という思いで活動されています。

我が子を失うという、地獄のような体験をされてもなお、再発予防のために身を削られる思いで活動されている工藤ご夫妻の姿に私は心を打たれました。

スポーツペアレンツジャパンの活動の主な目的の1つは、「子供達にとっての安全で安心なスポーツ環境のための正しい情報提供」です。

剣太君の死はあまりにも悲しいですが、二度と起こしてはいけません。そのために真実を「知る」ということが必要です。


工藤ご夫妻のご協力により、今回こちらで事件の詳細、裁判に至った経緯などの資料を掲載させていただくことになりました。

まずは「知って」ください。そしてご自身ができる小さな行動をまずは始めてみましょう。


*今回の事件について詳細にまとめた、”剣太の会” 発行の冊子 「もう頑張らなくていいよ」 (写真右)を送って頂きました。

 

その中に記載されている内容を以下転記いたします。

 

・ ・ ・ 「もう頑張らなくていいよ。」 より ・ ・ ・

 

はじめに

2009年(平成21年)8月22日、私たちは『剣太』という名の大切な息子を亡くしてしまいました。

誰にでも起こり得る事件です。

それが、私たちの『剣太』だった・・・だけの話しなんです。

 

その日の朝、夏休み中で、部活の為だけに学校へ行く剣太と弟・風音(かざと)に、私は剣太の好きなミートボールの入ったおにぎりをにぎりました。

「剣くん。ミートボール入りのおにぎりやけど、1個、2個?」

「う~ん。1個でいいや。部活きついと食べられんけん」

「じゃあ、風音の分とで2個ね。ここに置いちょくよ」  

                                                        

剣太が亡くなった翌日、誰が持ってきてくれたのか、どうやって家に戻ってきたのか、剣太のカバンが目に入りました。

 

中を見ると、私がにぎったおにぎりが1つ入っていました。

 

「あの子、ごはんを食べないで逝ったんだ・・・」

 

腐ったおにぎりを握りしめて、ただ声をあげて泣くことしかできませんでした。

 

<裁判に至った経緯>

私たちが裁判に踏み切った経緯を簡単にお話し致します。

まず、申し上げたいのは、私たちは、決して初めから裁判を起こすつもりはありませんでした。県や学校が、正直に、あったことをあったと説明し、誠意ある行動を取ってくれてさえいれば、裁判など起こす必要は無かったのです。

 

平成21年8月22日、顧問より電話を受け、剣太が剣道場から運ばれたという緒方町の公立総合病院へ向かいました

 

そこで見た剣太は浅く荒い呼吸で目をカッと見開き、その目は血走っていました。時おり「うおー!」とベッドから起き上がり暴れるので、私が両手で剣太の体を抑えつける状態でした。こちらからの呼びかけには何の反応もせず、ただ小刻みに体を痙攣(けいれん)させ、視線も定まっていませんでした。淡々と処置を行う医師と看護師、「剣太はどうなってしまうのか…」不安で頭が一杯でした。顧問は処置室と廊下を行き来し、副顧問は処置室の前にじっと座っていました。

 

私に対し顧問は「今日はそんなにキツイ練習はしていない」と言うばかりでした。しばらくして妻が病院に到着しました。妻は、剣太の処置室での姿を見るなり泣き出し、震えながら息子の名前を何度も呼びました。

その数時間後、目は乾ききって閉じることもできず、大きな前歯は1本折られ、変わり果てた姿で剣太は息をひきとりました。

 

その時、弟・風音(かざと)は母親に「先生はよくやってくれたよ…」とただそれだけ言いました。

しかし、時間が経つにつれその様子がおかしい事に気付き始め、剣道部の部活動中に何があったのか、風音に詳しく尋ねました。

 「よくやってくれた!」
 「でも、俺、警察で全部話したけん!」
 「『そこまで思い出させてごめんな』って警察の人が言うくらいまで話したけん!」

 風音は何か思い詰めたように話し始めました。私たちも、ようやく「先生はよくやってくれた…」の意味がわかり、真実がわかってきました。風音は最初は私たちをこれ以上悲しませてはいけないと思ってあまり多くを語らなかったのです。

 

風音が少しずつ話し始めました。

 

)>