大分県剣道部員死亡事件<3>

剣太君のお母様による意見陳述 

*今回、剣太君のお母様に送って頂いた意見陳述書を以下転記いたします。

署名活動をする剣太君のお母様、奈美さん

 

 

 

(2010年4月22日、大分地方裁判所にて)

このたびは裁判長さんにこのような機会を与えていただきありがとうございます。

私どもの長男剣太は平成4年5月27日に産まれました。初めての子であり、初孫でもあった剣太は周囲の者から愛され、久住の大自然の中のびのびと心優しい子に育ちました。

 

小さな頃から兄弟思いだった剣太にはいくつかのエピソードがあります。

剣太が7歳の頃、やっと歯の生え始めた妹を抱っこしていると、急に剣太の肩をガブリとかみつきました。見ていた私達が「剣太、大丈夫か!」と尋ねると、肩からうっすらと血が滲んでいましたが「梨香子がした事やけん全然痛くねんで」と言って我慢していました。

弟、風音(かざと)とは1歳半違いの年子なので、ふた子のように育ちました。
共働きの為、初めて保育園に預けた時、淋しがって泣きやまない弟を3歳の剣太がずっと膝の上に抱いていたという話を保育士の先生に聞いた時は「自分も不安で泣きたかっただろうに弟を心配し精一杯守っていたんだな…」といじらしく私たちも涙が出ました。

 

剣太と弟、風音が剣道を始めたきっかけは、私が剣道の指導者だったことが最も大きいと思います。

 

私は、剣道からたくさんのことを学びました。剣太の「剣」はこの「剣の道」からとっています。

心と体を鍛え、人を思いやれる立派な人間になってほしいと願い命名しました。親の想いを受け剣太が小学校1年生、風音が保育園の年長さんの時、同時に剣道を始めました。暑い日も、足がかじかむ寒い日も一生懸命剣道に励みました。

 

剣太は、弟が高校を受験する際、「風音は態度が悪いけん、先輩から絶対目を付けられる!だから俺の下に入れてくれ」と親を説得し、弟を頑張らせました。

 

剣太が亡くなった後、弟の風音から聞いた話しですが、高校に入るとクラスに同じ学校の出身者がいないこともあり、一人でいる所を見た剣太は毎日、昼休みになると1年の教室を覗き「風音集合!」と声をかけ廊下に連れ出し自分の友達と一緒に楽しく騒ぎ、教室に返す日が何日間か続いたそうです。

 

剣道部の先輩が弟の携帯を取り上げてメールを声に出して読み上げていた時、剣太が現れ「風音が『先輩、先輩』って言うけんっち調子に乗るな! こいつは我慢しちょるんぞ! 返せ!」と取り戻し「ほらっ」と弟に渡したそうです。

先輩、後輩の立場から何も言えず黙って耐えていた弟をかばってくれたのです。いつも困った時には姿を現し守ってくれた剣太は、始めに私達に言った「俺の下に入れてくれ…」の言葉通り常に弟を気にして見てくれていたのです。弟、風音がポツンと「全部は言われんけど、剣太が俺にしてくれたことは半端ねぇ」と言いました。こんなに弟思い、妹思いの剣太はあの日を境に私たちの前からいなくなりました。

 

8月22日――私たち家族を一瞬で地獄へ落した日。
 

私が連絡を受け病院へ向かい目にした剣太は変わり果てていました。
 

目は閉じずに血走り、呼吸は荒く、意識はないのに時折「うおーー!!」と起き上がり暴れました。前の年の8月の合宿で熱中症になった時とはあきらかに違う状態でした。
1時間ほどして妻が病院に到着しましたが、剣太の顔を見るなり「剣くん!どうしたの!何があったの!何でこんな目に…」と泣き震え立っていられない様子でした。

 

それから数時間後、剣太は家族に「さよなら…」さえ言えずに一人で旅立ちました。17歳の若さで…

 

いったい何が起きたのか…、それは一緒に練習をしていた部員、もちろん弟もすべてを見ていました。
 

何かにつけ剣太に強く当っていた顧問は当日も剣太に人の何倍も練習をさせ約1時間半休憩も水分も摂らせず、フラつく剣太に対し「演技じゃろうが!そげん演技せんでいいぞ!」などと言い続け、「もう無理です」と助けを求めているにも関わらず「まだできるやろうが!」などと言い強制で続けさせ、体が「く」の字に曲がるほど蹴ったり意識障害を起こし何度も壁にぶち当り、とうとう倒れて動けなくなった剣太を、足で体を抑えあの大きな手で何発も平手打ちし「そういうのは熱中症じゃねぇ!目を開けろ!演技するな!」と言っています。

熱中症の講習を受けた人間がこんな酷い状態を目の当たりにして「熱中症じゃねえ!」と言いきっているのです。信じられません!

 

剣太は11年も真面目に剣道をやってきた人間です。そして遠のく意識の中で聞いた、短い人生最期の言葉が「演技をするな!」だったのです。何も抵抗できず、ただひたすら顧問の言うことを聞き続け、命が燃え尽きるまで忠実でいようとした剣太がかわいそうでたまりません。

 

通夜の席で、私達の前に座った顧問に対し、弟は拳を振り上げ体を震わせて「お前の事を剣太がどれだけビビッちょったか知っちょるんか!! お前は剣太の防具がない所ばっかり狙って打ちよったじゃねーか! お前が剣太を殺したんや! 俺がお前を殺す!」と泣きながら叫びました。
 

兄が痛めつけられている姿を止めることもできず、ただ見ていなければならなかった弟…。学校や日常ではあんなに自分を守ってくれていた兄の最後の姿は意識もないのに殴られ続ける姿だったのです。私たちにも想像を絶する状況です。

 

この子が受けた深い深い傷は到底癒えるものではありませんでした。
 

食欲もなく、夜、目を閉じると兄が殴られている姿が現れ眠る事も出来なくなっていました。49日で魂まで向こうの世界へ旅立ってしまうことが辛く、「剣太が…剣太がおらんのや…剣太が横におらんのや…」と布団にくるまって声を上げ泣く日もありました。とうとう弟は「あそこに俺の居場所はない!」と転学してしまいました。

 

剣太には、別の学校にお付き合いをしている子がいました。
通夜も葬儀も来てくれました。

 

当日も部活のあと花火を見に行く約束をしていたようです。彼女は剣太に甚平をプレゼントしようとこっそり用意してくれていました。2人は花火を見に行くことも、剣太はそれを着ることもできませんでした。
「剣太にかけてあげて下さい」と手渡され、そっとお棺の上に広げました。彼女は、お棺に納められた剣太の顔を見るなり腰が砕けお父さんに支えられながらその場を後にしました。

 

彼女は毎月、月命日に綺麗な籠盛りの花を贈ってくれます。気持ちは大変嬉しいのですが高校生のお小遣いで毎月花を買うのはかわいそうでメールでですが「お花は高いからもういいよ」と妻が伝えると「いいんです。せめて剣太のそばに置いて下さい」と言ってくれました。

形見分けとして剣太がずっと使っていた財布を送り「もし、彼氏ができて不必要になったらいつでも送り返してね」と手紙を添えると「私にとって剣太はずっと大切な人です。たとえ私が結婚して家庭を築いても大切に持っています。」と返事がきました。

 

剣太も、もっとたくさんの時間を彼女と過ごしたかっただろうし、生きていればこの先たくさんの恋もしたでしょう。厳しい練習の中、ちょっとでも会いに行ったり、電話で話す事がどれだけ剣太の力になったことか、親として色んな経験をもっともっとさせてあげたかったです。

 

竹田高校や県教委からすれば「一人の剣道部員が死にました。」の一言で片付けられるこの「工藤剣太」は、たった17歳でしたがたくさんの人に愛を注ぎ、愛され、かけがえのない一人の尊い人間でした。「行ってきます」とただ部活をするため学校に行き、変わり果てた姿で戻ってきました。

 

私たちは愛して止まない我が子にもう一生会うことはできません。

 

一生懸命、顧問の言うことを聞き、剣道に頑張っていた息子を自分の気持ちが癒えるまでしごき続けた顧問。副顧問も途中で「休憩を取りませんか」や殴ったり蹴ったりの行為をじっと見ていたのではなく「先生、やめてください」と、もし止めてくれていたら剣太は今頃、高校3年生になり普通に学校に通い『救急救命士』を目指し勉強と剣道に頑張っていたと思います。弟、風音も竹田高校の2年生として元気に学校に行けたと思います。

 

これだけのことをしておきながら、顧問は停職6ヵ月、副顧問は停職2ヵ月の処分で終わりです。副顧問に関してはもうよその学校で子ども達の前に立っています。剣太が助けを求めても知らん顔で見殺しにした人間が子どもの教育をしているのです。

 

剣道では、子どもが頑張っている!と思うと顧問の指導がおかしいと思ってもなかなか意見を言えません。私たちもそうでした。顧問に歯向かえば試合に出してもらえないのではないか…、子どもへの当たりがきつくなるのでは…と黙って心の中で泣いて見ていました。その結果、命までも取られることとなりました。

顧問も、どこの学校に行っても部員や保護者が言いなりで逆らう者もいない為、行動がエスカレートしていき、相手が高校生で親から預かった大切な子どもという認識さえわからなくなっていたのでしょう。

 

顧問の言動の中に、剣太を殴りながら「俺は何人もの熱中症の人間を見ている!そんなのは熱中症の症状じゃねぇ!演技じゃろうが!!」と言っています。しかし、病院で医師に「私は熱中症の人間を1人しか見ていない。それも軽い症状の…」と言っている現場を弟の風音が偶然目撃していました。

 

日頃、部員達に立派な精神論を叩きこみ、剣太には特に「お前は精神的に弱い!!」と随分と精神的虐待を行い、追いこんでいた人間が、指導の最中、死にそうな剣太に対し「演技してまでキツイふりをするな!俺は熱中症の人間を何人も見ているがお前は演技だ!」と断言した言い方をしたにも関わらず、結局は「軽い症状の熱中症の人間を1人見たことがあった…」程度のものだったのです。弟が見ていなければわからない事実でした。

 

剣太が亡くなり、顧問は「病院に通っている…」などという話も耳に入りましたが、病院どころか、命を絶ってあの子に逢いに行きたいのは親の私たちです!!剣太が瀕死の状態の時には、「演技すんな!まだできるじゃろうが!」と死ぬまで剣道をやらせた人間が、自分だとすぐ病院に行き、さも精神的に参っているかのような行動!とても許せません!だったら、もっと早く剣太を病院に運んでほしかった…。

 

どうして、教育委員会はこのような、人の道に反した非道な人間をまた教育の現場に戻そうとしているのでしょう!!顧問はあと1月半もすれば教育者として子どもの前に立ちます。それを教育委員会は当たり前のように受け入れているのです。この顧問の人間性をどこまで把握し出した処分なのか、私たちには到底理解ができません。

 

病院に関しては、剣太が救急車で搬送された時、病院の入り口付近で救急隊員の方と病院側とが押し問答し、病院になかなか受け入れてもらえなかったようです。複数の方が見ています。 剣太は熱射病で一刻を争う事態なのに、もっと早く対応してくれていればと思うと残念でなりません。何より、「重度の熱射病」をただの「熱中症」と診断し、熱射病に必要な最善の処置をしていなかった…。このような対応は地域医療を担う救急病院とは思えません。

 

命の尊さ大切さを教える学校で、教師によって剣道の指導と言う名の下リンチ紛いのことをし、助けを求める剣太に対し暴力をふるい、無理やりやらせ、救護措置が遅れ、副顧問は見て見ぬふりをし、これだけのことをしておきながら教育長、校長、教員は軽い処罰に甘んじ、責任を取ろうともせ

 

ずに今の役職にしがみついています。顧問の言う通りに一生懸命に練習をした高校生の命の重さとはこんなものなのでしようか。私には納得がいきません

 

最愛の息子剣太はこのような学校側と病院により殺され、亡くなりました。

どうかお願いします、この裁判は公開裁判にして下さい。剣太に対しどの様な事が行われてきたかを皆さんに知っていただき、今後、私達のような、自らの命を絶ちたいほどの苦しみや悲しみを一生背負って行かなければならない人間がもう2度と出ないようにする為です。どうぞお願い致します。

 

私たちは、全国の同じ境遇にある方たちとも密に連絡を取り合っています。再発が起きないよう願っている方ばかりです。そして、この裁判の行方、大分県の対応をしっかりと見ています。   

 

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