シアトルマリナーズマイナーリーグアスレティックトレーナー

一原克裕氏インタビュー(1)

<一原克裕氏(ATC)ご紹介>

早稲田大学人間科学部、ブリッジウォーター州立大学院卒業

シアトルマリナーズマイナーリーグアスレティックトレーナー(2012-現在)

2013WBC中国代表アスレティックトレーナー

Sacramento Mountain Lions (UFL) アシスタントアスレティックトレーナー (2011,2012)

MLB Seattle Mariners/San Diego Padres スプリングキャンプ インターン (2011)

NFL New England Patriots サマーインターン (2010)

MLS Sporting Kansas City サマーインターン (2010)

第3回アメリカンフットボールW杯韓国代表チームアスレティックトレーナー(2007)

早稲田大学アメリカンフットボール部学生トレーナー(2004-2007)

              

<ご経歴について>

Q:一原さんは何かスポーツをされておられたのですか?

A:僕自身は小学校4年生から高校まで野球をやっていたのですが、何せ怪我が多かったんです。体の使い方がもともとうまい方ではなかったので・・・。

 

Q:ポジションはどちらを?

A:ピッチャーです。

 

Q:どんなケガをされていたのですか?

A:肋骨の疲労骨折や、首や腰の椎間板にも問題がありましたし、近所の整骨院に通わないとプレーが出来ない、という状況が中学生くらいからありましたね。

 

Q:一原さんがアスレティックトレーナーを目指されたきっかけを教えてください。

A:故障を抱えながらプレーしている状況の時、ちょうどプロ野球で工藤選手のトレーナーの方の情報を知って、「なるほど、こういう職業もあるのか」と思ったのがそもそものきかっけでしょうか。

早稲田大学に進学しましたが、アスレティックトレーナーになるための勉強ができるスポーツ科学部には入れなかったんです。

しかし、アスレティックトレーナーの勉強をどうしてもしたかったため、アメフト部で学生トレーナーとして活動しながら現場で学ぶ事を選びました。トレーナー活動ができる場を求めて、見学をさせて頂いたアメフト部は、偶然にも日本で最初にATC(全米アスレティックトレーナー)の資格を取られた鹿倉先生が指揮をとられており、充実したメディカル体制が整っていることを知りました。

自分もそこに所属することを決め、大学4年間の活動期間でアスレティックトレーナーの基礎を学びました。

 

Q:最初からアメリカ留学、というのも視野にいれていたのですか?

A:まだその頃はあまり具体的ではなくて・・・。所属していたのがトレーナーの資格(日本体育協会公認アスレティックトレーナー)を取れる学部ではなかったので、理学療法士(PT)か鍼灸か、もしくはATC(全米公認アスレティックトレーナー)なのかな・・・と。

 

Q:やはりアメリカに行こう!と思ったのは?

A:自分が最も追求したいテーマは何なのか?と考えた時に、「安全面の向上だ」と思ったんです。

今思えば「スポーツ・セーフティ―」に対する興味はその頃からだったのかな、と。

スポーツに関わる、もしくは選手に関わる方法はATC以外にもあるかもしれないけれど、スポーツ・セーフティを追求しようとしたら、やはりアメリカに行くしかないな、という思いが強まりましたね。

 

Q:それから渡米の準備を始められた?

A:そうですね、その間、U19の日米対抗のアメフト大会が川崎であったのですが、その時、アメリカチームの方のサポートをさせてほしいと願い出て、受け入れてもらえたんです。当時はほとんど英語もできなかったのですが・・・(笑)。

しかしその試合で私は衝撃的な経験をしたんです。

 

Q:と、いいますと?

A:人生で初めてスパインボーディング*の経験をしたんです。

試合の第4クオーターで、アメリカの選手の子が倒れたんです。その時に対応したアメリカのトレーナーの対応がパーフェクトだったんです。

 

*スパインボーディング・・・頭頸部の外傷を追った選手をフィールドにおいてスパインボードと呼ばれる担架に安全に乗せ、頭部をしっかり固定させる技術。

 

Q:どのような所がパーフェクトでしたか?

A:確かディフェンスの大柄な選手だったと思うのですが、タックルをしてそのまま動かなくなってしまいました。脳震とうを起こしていたんですね。

日本人選手の上に覆いかぶさるようにしてうつ伏せで倒れてしまっていたんです。そしてアメリカのトレーナーとコーチ、そして僕がフィールドに駆けつけました。

駆け付けた時には意識はなく、白目をむいていて口から泡もでていました。

しかしすぐに意識は取戻し、そのすぐ後からトレーナーのチェックが始まったんです。もうそれが今考えてもパーフェクトで・・・。

意識や呼吸の確認、頸部のチェックや四肢の感覚のチェック、そして選手を怖がらせないようにジョークなども交えながらの評価をしていたんです。

そして、トレーナーの方がその評価をしている間、コーチがずっと選手の頭を手で固定していました。

 

Q:コーチ自らですか?

A:はい。僕は前日からEAP(Emergency Action Plan)の確認などもしていたので、「ここから救急車への搬送ルートは…」ということを考えたり、「本当に起こった!」と少し焦っていたのですが、アメリカのトレーナーとコーチの連携は素晴らしかったです。

頭部固定を行うのはもちろん私の役割だったわけですが、そのコーチも長年高校で指導をされてきた方だったので、その対応の素早さに感動しましたね。

そういう経験があったので、「ああそうか、スポーツ現場でのエマージェンシーケアについてはアメリカのアスレティックトレーナーが長けているのかな」と思いました。ならば、その教育を受ければ、その分野に詳しくなれるかもしれない、と。

 

Q:それがアメリカ行きを決定づけた?

A:あともう1つあって・・・。アメリカに行く前に高校のラグビー部のサポートを臨時でさせていただいていた時期があるんです。以前から週1回程度アスレティックトレーナーがこられていたようでしたが、選手達が自分から行うストレッチやアイシングなどのセルフコンディショニングはまだまだできていないという印象でした。

 

ある日、選手の一人が近づいてきて、「気持ちが悪いんです。」と。

「どうした?」と聞いてみると、前の試合で強烈なヒットを受け、その夜何度も嘔吐し、緊急で病院に運ばれた、と言うのです。診断は脳震盪。

ゲーム中の事は何にも覚えてなく、とりあえず安静に、そして徐々にやっていきなさいというようなことを医師から言われたということでした。今日は少し症状がおさまったので、ランメニューをしてみたら気持ちが悪くなってしまった、ということでした。

その時思ったんです。高校レベルでは、この状況をコントロールできる人間がいないのだ!と。

もし、その日が試合でトレーナーもいなければ、きっと彼は「大丈夫です。できます!」と言って試合にでていたでしょう。

そしてもし試合に出ていたとしたら、生死に関わる問題が発生していたかもしれないという可能性は非常に高かったでしょう。その時に強烈な恐怖心を感じました。

高校生以下のこの環境をどうにかしたい、そう強く思いました。

 

Q:そこからではいよいよ渡米ですね。一原さんはハワイ州の大学に進まれていますが、それには理由があったのでしょうか?

A:はい、ハワイ州は全米で初めて条例で全ての高校にアスレティックトレーナーが配備された場所だったのです。

 

Q:すべての高校ですか?

A:はい、その当時は1校に1名でしたが、現在は2名です。全高校にトレーナーを配備するということが実際にハワイ州ではできているのか!と非常に驚きましたし、ではその実現に至った背景であるとか、州政府の動きであるとか、そういうことも行けば知ることができるのでは?と思いました。

 

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